2011年11月27日

ニラレバの反対はレバニラなのだ

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世間の常識からすれば全くアベコベな物事の結末に「これでいいのだ」と締めくくり、全てを丸く?収める達人といえば、ご存知バパボンのパパ。息子のバカボンの名前は、ディズニー映画『ライオン・キング』の挿入歌として知られるエルトン・ジョンの名曲「Can You Feel the Love Tonight?」の歌詞にも登場する「vagabond」という単語に由来すると言われている。放浪者や無宿人の意味をもつvagabondだが、息子よりも、むしろその父親のパパのための単語ではないかと感じてしまう。一流の植木職人としての腕を持つバカボンのパパは、番組の始めの歌の歌詞にあるように、お日様が西から昇って東に沈んだとしても、実は「これでいいのだ」とあっさり片付けてしまうほどの楽天家。

今、「ニラレバ」か「レバニラ」かという世紀の議論を巡り、中華街に関係する識者の間で大いに話題となっている。私としては、要は料理は美味しければ「これでいいのだ」となるわけであって、名称はそれらしいものであれば何でも構わないのである。しかし、本物の通ともなれば、やはり名称の歴史や由来についても、それなりの知識をも備えていなければならないのかもしれない。私自身、通でもなんでもないのだが、ちょこっとの好奇心をもってウィキペディアで「レバニラ」を検索してみると、本来は「ニラレバ」と言うところを、バカボンのパパの好物は「レバニラ」だったので、その影響で広まったという説がNHKで紹介されたという記事があるではないか。日出や日没の東西はどちらでも構わないとするスタンスのバカボンのパパならば、きっとふざけてニラレバを反対にしてレバニラとして呼称していたに違いない。

ただ、ここで疑問なのは、NHKでの紹介が正しいとするのであれば、本来の読み方がどうして「レバニラ」ではなく、「ニラレバ」だったのであろうか、という点である。「ニラ」と「レバ」は互いに名詞。2つの名詞が連続した場合、どちらかが主でどちらかの従たる存在になるのが一般的。例えば、「ビール」とその入れ物としての「瓶」という2つの名詞を例としてみてみよう。言うまでもなく、「瓶ビール」は瓶に入ったビールで、「ビール瓶」は火曜サスペンスに登場する被害者の後頭部を強打するための凶器ではなく、ビールを入れるための瓶である。「ビール」と「缶」も同じように、風呂上りに飲むのが「缶ビール」で、足で踏んづけて潰すのが「ビール缶」である。樽に入っていれば「樽ビール」になるし、私の体型ならば「ビア樽」となる。以上の例の共通点は、名詞が二つ並んだ場合、後者が主たる名詞で前者がそれを修飾したり彩を添えたりする従たる存在であることに気付く。

では、この法則が全てに当てはまるかと言えばそうでもない。飲料のビールと違い、ツナ缶やサバ缶となると、「缶ツナ」「缶サバ」とは呼称することは通常ない。恐らくは、発音のしやすさや語呂の良さのほか、刺身用の生や簡易的なパック詰めではなく、長期保存がきく缶詰であることを強調するために、「○○缶」と略称呼称しているだけなのかもしれないと、勝手に想像してしまっているが、真実は定かではない。しかも、「缶サバ」だと「寒サバ」と誤認される可能性もあるし。いずれにせよ、ビール、ツナ、カニといった食材と瓶、缶といった容器や梱包状態との比較を、互いに食材同士である「ニラ」と「レバ」との前後問題と同系列で論じてしまって果たしてよいものなのかという疑問は残る。論じてしまって問題ないものもあれば、どうしても説明のつかない例外的なものもどうしても発生してしまうに違いない。

どうやら、ニラレバとレバニラとの違いを巡っては、同じ中華の仲間のメニューの傾向から判断するのが妥当ではないだろうか。名詞が2つ並んだ代表格といえば、チャーシュー麺、ワンタン麺、肉野菜炒め。チャーシュー麺の場合、基本はラーメンであるが、具としてチャーシューがたくさん入っているので、チャーシューという名詞が後に続くラーメンという名詞を「チャーシューがたくさん入った」と形容詞的に修飾している。肉野菜についても、通常は野菜がメインで肉はそれほどの量が入っていない。では、鶏ごぼうのおにぎりはどうか。鶏とごぼうを比べて、鶏の量が一目瞭然で多ければ問題ないが、両者どっこいどっこいの場合、材料一覧で確認するしかなさそう。あるいは、逆に「ごぼう鶏」とすると、実際にそんな種類の鳥が存在するのかという誤認につながる可能性もあるので、最初から「鶏ごぼう」としているのかもしれない。

ニラレバとレバニラ、私としてはどっちでも構わないような気がしている。ただ、消費者としては、名称の前に来るものに気を取られがちであることは、一般的に言われていること。品詞にこだわらなければ、水餃子と焼餃子も比較の対象になるかもしれない。茹でか焼かという調理法を意味する単語を、その共通する名詞「餃子」の前に置いている。それに、「餃子水」だったら、餃子の茹で汁かと思ってしまうし…。また、人によっては、鶏とごぼう、肉と野菜はそれぞれ、輸入統計品目表におけるHSコードの番号に準じた並び順ではないかとの指摘もあろう。頭6桁が世界共通のHSコードは、品目の種類によって第1類から第97類まで分類されている。参考まで、第1類から第5類は動物性のもので、第6類から第14類までは植物性のもので占められている。肉関係は第2類で、野菜関係は第7類に属している。

いずれにせよ、料理は味で勝負。無論、名前もある程度は大事ではあろうが、ニラレバがレバニラと表記されるのが本当にアニメ番組に登場する人物の影響であったとしても、今のように両者がほぼ同一のものとして認識されてしまい、日本語の中華料理のメニューとして浸透してしまっている以上、どちらが正しくてどちらが誤りかという議論はもはや意味をなさなくなってくる。大切なのは、正誤の見極めではなく、なぜそのような呼称となったのか、そのルーツを探ることである。ニラレバとレバニラ、どちらが最初なのか、考案者は誰なのか、地域的な呼称の違いはないのか、読み方が反対になった本当の理由や影響は何なのか、が大事なのではないだろうか。

私は、言葉は生き物である、というスタンスをとりたい。というのは、ニラレバがレバニラと変化したように、言葉は時代の流れによって変化するものであるからである。昔の辞書と今の辞書と比較して、全ての単語が一様に意味が変わっていないということはあり得ない。今だにいい年をした会社の幹部が「役不足ではありますが、よろしくお願いします」などと非礼な挨拶をすることがある、こういった挨拶が誤って謙遜の意味で長年使われ、それを聞く側にも違和感がないのであれば、それはそれで国語辞典をそろそろ書き換える時期が到来しているという一つのサインでもあろう。もう一つ例を挙げれば、若者が頻繁に使う「ていうか」「ってかさぁ」「てゆーか」「っつーかさぁ」もそうだろう。

A:「今日さぁ、放課後ゲーセン行かねぇ?」
B:「てかさぁ、彼女にプレゼント忘れちゃってマジでヤバいよ」

といった会話に見られるように、「ABCといいますか、むしろXYZなのです」といった本来の意味に加え、A君はB君にゲームセンターで遊ぼうと誘っているのにもかかわらず、B君はA君の誘いに耳も傾けずに、ゲーセンとは全く関係のない自分だけの話題に相手を引きずり込もうとする自己中心的な性質であることがうかがわれることから、1秒前までの会話の分断、相手が発した話題の拒絶、といった意味まで付与されてきてしまっているのではないだろうか。その背景として、相手との人間関係が希薄になってきている昨今の社会のなかで、自分は他人を愛せないが他人には自分を愛して欲しいという欲求が根底にあるのではないだろうか。

未来の辞書で「ていうか」が単語としての市民権を得て載っているかもしれない。恐らく定義としては、「自分の話題に相手を引き込むための有効な言い回し」「相手のつまらない会話に終止符を打ちたいが、それをストレートに言えない場合の切り替えしのための決め台詞」などとされているかもしれない。

てかさぁ、今は辞書の話じゃなくて、レバニラだしぃ、みたいなぁ。。。何だかニラレバ炒めでもレバニラ炒めでもどっちでもいいから、無性に食べたくなってきた。。。

これでいいのだ!


posted by 小津 杉三 at 12:48| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑感手記-宗教・言語・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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